自殺サイトということでヤフーで検索。最初の方に、自殺サイトとして、出てきたweb(http://inochi.jpn.org/jisatsu/)には、とても、興味深い問い掛けがなされている。
なぜ死んではいけないのですか?と。
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自殺サイト はじめに
「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである」
不条理の哲学で知られる20世紀フランスの作家、アルベール・カミュは、『シジフォスの神話』の冒頭に、こう書いています。
シジフォスは岩を山の頂まで運びあげますが、岩はその重みですぐに転がり落ちてしまいます。運び上げては転がり落ち、また運び上げては転がり落ちる。無意味で、希望の無い労働を永遠に繰り返すシジフォスの努力に、人生の実相を見る人も少なくありません。
ドイツの哲学者ニーチェは、キリスト教をはじめとする一切の既成の価値を徹底的に破壊し尽くした果てに、人生の新たな価値を創造しようとしました。それは意味なき生の繰り返しを肯定することで、生の頂点が得られるというものでしたが、ニーチェ自身は発狂し、死んでいます。
相次ぐ少年犯罪をどうするか、激論が交わされたテレビ番組のさなか、「なぜ人を殺してはいけないのか」の一高校生の問いに、識者たちの回答はありませんでした。以来、この問いはさまざまな視点から論じられましたが、未だ正面から答え切った人を知りません。
一見、平凡な日常は、実は最も根本的な問題から目を背け続けています。そして人々は、心の空虚を抱えたまま、それに驚きもせず、ただ漠然と生きています。
果たして、人生は生きるに値するものなのでしょうか。
なぜ、どんなに苦しくても、自殺してはいけないのでしょうか……
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この質問に、実際、多くの人は答えに窮してしまうだろう。
そもそも自殺してはいけない、というのは命令に他ならない。いけないという禁止命令だ。
命令であるなら、その命令はどこから来るのか?
神様か? もし神様なら、どの宗教の?
突き詰めて考えたことがなければ、なかなか明確には答えられない。
この肝心かなめな問いかけに、きちんと答えることも出来ずに、多くの機関など、自殺防止取り組んでいる。
明確に答えることも出来ずに、自殺してはいけないのは、自明のこととして。
2008年9月29日月曜日
2008年9月25日木曜日
自殺の後
先日、霊能力者のテレビ番組を見ていたら、自殺の後の話をしていた。
自殺すると、もちろん死ぬと思う。死んだと思ったところが、実は霊となって生存している。そこで、自殺者は混乱する。
存在をやめることが出来ないことに気づき、死後の世界から、残された遺族の苦悩を見ることとなる。そして、激しい後悔にさいなまれるという。
さらに、自殺を後悔した自殺者は、それをやり直せないかと死んだ場所に立ち返る。そして、いつもそこで後悔し続ける。こうして地縛霊となってしまう。
そんな話だ。
現実逃避の自殺が、かえってより辛い現実を引き起こすとするなら、なんとも辛い話だ。自殺など、するものではない。
自殺すると、もちろん死ぬと思う。死んだと思ったところが、実は霊となって生存している。そこで、自殺者は混乱する。
存在をやめることが出来ないことに気づき、死後の世界から、残された遺族の苦悩を見ることとなる。そして、激しい後悔にさいなまれるという。
さらに、自殺を後悔した自殺者は、それをやり直せないかと死んだ場所に立ち返る。そして、いつもそこで後悔し続ける。こうして地縛霊となってしまう。
そんな話だ。
現実逃避の自殺が、かえってより辛い現実を引き起こすとするなら、なんとも辛い話だ。自殺など、するものではない。
2008年9月23日火曜日
2008年9月22日月曜日
自殺と人間性
自殺については、色々な意見がある。自殺肯定派の人からは、自殺とは最後の人間性だという意見がある。
自殺ができるということ、自殺というのは、人間に許された最後の選択ではないのか、と。
この世は、四苦八苦の世界。思い通りにならないもの。
決して我慢できない環境で生きることもある。生きることが、何よりも辛いことも。
そんなとき、まずはどんな人間でも、死を選ぶ自由はある。
それこそが人間が人間である証しではないのか、というわけだ。
もちろん、そんなものではない、と言うことは簡単だけれど、確かに、辛いのは生であり、死ではない、という意見には共感できるものもある。
自殺とは最後の人間の自由、・・・そんな側面も、有るのかもしれない。だからこそ、自殺、江戸時代の心中とか、あるいは切腹とか、美しいものとされたのかも。
つまり、自殺が美しい時代もあったのだろう。
自殺ができるということ、自殺というのは、人間に許された最後の選択ではないのか、と。
この世は、四苦八苦の世界。思い通りにならないもの。
決して我慢できない環境で生きることもある。生きることが、何よりも辛いことも。
そんなとき、まずはどんな人間でも、死を選ぶ自由はある。
それこそが人間が人間である証しではないのか、というわけだ。
もちろん、そんなものではない、と言うことは簡単だけれど、確かに、辛いのは生であり、死ではない、という意見には共感できるものもある。
自殺とは最後の人間の自由、・・・そんな側面も、有るのかもしれない。だからこそ、自殺、江戸時代の心中とか、あるいは切腹とか、美しいものとされたのかも。
つまり、自殺が美しい時代もあったのだろう。
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