2008年10月7日火曜日

韓国女優の自殺

韓国の有名な女優が自殺した。その原因がネットでの誹謗中傷だという。
本当なのだろうか?
サーバー規制を韓国は始めるとか、野党は反対とか、騒いでいるようだけれど。

ネットで見ず知らずの人に悪口をかかれたぐらいのことで、本当に、自殺するのだろうか? 引き金にはなりうるのかなあ?
ネットでの悪口って、あんまり当たり前で、特に有名な人なら、いっくらでも悪口、言われるものだと思うのだけれど。

以下、10月7日産経新聞から。

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韓国女優自殺 書き込み規制強化 サイバー侮辱罪成立目指す

 【ソウル=水沼啓子】韓国の人気女優、崔真実(チェ・ジンシル)さん(39)の自殺を受け、韓国警察庁は6日から、インターネット上で虚偽の情報を流布し、悪質な書き込みを常習的に行う人物に対して集中取り締まりを始めた。来月5日まで1カ月間、サイバー犯罪専門捜査員900人を総動員する。また崔さんが、ネット上での人格攻撃が引き金で自殺したことから、韓国政府は、サイバー侮辱罪の早期成立を目指している。

 崔さんは、プロ野球の元巨人投手、趙成●(チョ・ソンミン)氏(35)の元妻で、2日早朝に自宅浴室で首をつって死んでいるのが発見された。「偽名を使って高利貸を営み、最近自殺したタレントにも貸していた」などとネット上に書き込まれたことを苦にしての自殺とされる。

 国民的スターの自殺が韓国社会に与えた影響は大きく、韓国警察は、取り締まり強化に乗り出した。取り締まりの対象となるのは、個人または団体に関する虚偽情報を流布したり、ネット上で悪質な書き込みを行ったりする行為▽ネット掲示板、電子メール、携帯メールなどを利用した脅迫行為▽恐怖心、不安感を誘発するネット上の書き込みを執拗(しつよう)に行うストーカー行為-などだ。

 とくに虚偽の情報をネット上で流布した場合、軽微なものであってもその内容などから悪質と判断された場合、被疑者を徹底追跡して割り出し逮捕するなど厳しく取り締まる方針だ。

以下、略。

2008年9月29日月曜日

再度、自殺サイトを見る

自殺サイトということでヤフーで検索。最初の方に、自殺サイトとして、出てきたweb(http://inochi.jpn.org/jisatsu/)には、とても、興味深い問い掛けがなされている。

なぜ死んではいけないのですか?と。

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自殺サイト はじめに

「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである」

不条理の哲学で知られる20世紀フランスの作家、アルベール・カミュは、『シジフォスの神話』の冒頭に、こう書いています。

シジフォスは岩を山の頂まで運びあげますが、岩はその重みですぐに転がり落ちてしまいます。運び上げては転がり落ち、また運び上げては転がり落ちる。無意味で、希望の無い労働を永遠に繰り返すシジフォスの努力に、人生の実相を見る人も少なくありません。

ドイツの哲学者ニーチェは、キリスト教をはじめとする一切の既成の価値を徹底的に破壊し尽くした果てに、人生の新たな価値を創造しようとしました。それは意味なき生の繰り返しを肯定することで、生の頂点が得られるというものでしたが、ニーチェ自身は発狂し、死んでいます。

相次ぐ少年犯罪をどうするか、激論が交わされたテレビ番組のさなか、「なぜ人を殺してはいけないのか」の一高校生の問いに、識者たちの回答はありませんでした。以来、この問いはさまざまな視点から論じられましたが、未だ正面から答え切った人を知りません。

一見、平凡な日常は、実は最も根本的な問題から目を背け続けています。そして人々は、心の空虚を抱えたまま、それに驚きもせず、ただ漠然と生きています。

果たして、人生は生きるに値するものなのでしょうか。

なぜ、どんなに苦しくても、自殺してはいけないのでしょうか……

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この質問に、実際、多くの人は答えに窮してしまうだろう。
そもそも自殺してはいけない、というのは命令に他ならない。いけないという禁止命令だ。

命令であるなら、その命令はどこから来るのか?
神様か? もし神様なら、どの宗教の?

突き詰めて考えたことがなければ、なかなか明確には答えられない。
この肝心かなめな問いかけに、きちんと答えることも出来ずに、多くの機関など、自殺防止取り組んでいる。

明確に答えることも出来ずに、自殺してはいけないのは、自明のこととして。

2008年9月27日土曜日

自殺サイトを見てみる

自殺サイトで、検索して中身を見てみると、自殺を誘発するコメントを禁止しているものが多い。
こういう形で、少しずつ、規制なり自主規制されていくようだ。

たとえば、「自殺サイトちゃんと生きたい」というwebでは(http://homepage3.nifty.com/bote-ring/nayami/)次のように表現している。

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死にたいけど死ねない。生きたいけど生きられない。そんな気持ちで存在している人のサイトです。自分の思いを語って少しでも落ち着けたらなと思います。誰かの悩みは、誰かに為になる。そう思います。

*「一緒に死にましょう」や「自殺の方法を教えてください」など、自殺を誘発するようなコメントは厳禁です。

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遺書を書いてみる掲示板などがあり、中身は(語弊があるが)興味深いものとなっている。

色々な自殺サイトを見ていけば、現代日本の自殺問題も、その底に流れている問題とか、少しずつ、見えてくるようにも思う。

2008年9月26日金曜日

自殺サイトの話

自殺サイトというものがあるらしい。
自殺補助となれば、犯罪になるのだろうけど。自殺した人々が集まって、集団自殺をするとか。自分が自殺することも思えば、一人で死にたいと思いそうだが、自殺サイトで、人々が集まるといった心理、一人で死にたくない気持ちというのも、興味深い心理ではある。

自殺サイトという検索をすると、死門の番人というweb(http://blog.livedoor.jp/gunma_taro/)があった。そこには、以下のようにある。

-------引用-----------

死ねない事に悩むことはありません。門の先に時間は存在しないのです。急がなくても手遅れなんて事はありません。この世でやりたい事はもうありませんか。見たい景色はもうありませんか。後々残念に思う事はありませんか。どうしても門の先へ行かれるというのであれば、今、貴方に残された限りある時間を、貴方のため、貴方の思うがままに使ってみては如何でしょうか。もしそうできたならば、それは貴方の人生の中で最も贅沢で素晴らしい時間になるとは思います。貴方に与えられた人生である事を思い出しましょう。
実際、そんなに上手くはいきませんが…貴方の心が常に穏やかでありますように。

死門の番人(自殺サイト)運営理念
死門の番人は普段居場所がないと感じている方でも気軽に入れる安全で開放的な自殺系サイトです。自殺サイトの本来あるべき姿を追求して活動しています。近年、自殺サイト利用者による集団自殺や復讐代行などが問題視されていますが、それも自殺サイト運営者による杜撰な管理、遊び半分の運営が事件を手伝う結果になっている様に思えます。将来的にはその様な自殺サイトは閉鎖されていく事になると思いますが、ただ閉鎖させるだけでは、それまで自殺サイトに依存していた自殺志願者達の居場所を奪う事になり、自殺願望から解放される機会もなくなってしまいます。死門の番人は居場所のなくなった彼等の受け入れ先として誰もが安心して参加できる自殺系サイトの存在が必要だと考えています。自殺サイト”死門の番人”をどうか皆さんの手で安心できる楽しいサイトにしてあげてください。

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自殺願望を持つ人々の居場所。・・・なるほど。
こうした自殺サイトを必要とする人々は、結構、いらっしゃるのかも知れないな。

2008年9月25日木曜日

自殺の後

先日、霊能力者のテレビ番組を見ていたら、自殺の後の話をしていた。
自殺すると、もちろん死ぬと思う。死んだと思ったところが、実は霊となって生存している。そこで、自殺者は混乱する。
存在をやめることが出来ないことに気づき、死後の世界から、残された遺族の苦悩を見ることとなる。そして、激しい後悔にさいなまれるという。

さらに、自殺を後悔した自殺者は、それをやり直せないかと死んだ場所に立ち返る。そして、いつもそこで後悔し続ける。こうして地縛霊となってしまう。

そんな話だ。

現実逃避の自殺が、かえってより辛い現実を引き起こすとするなら、なんとも辛い話だ。自殺など、するものではない。

2008年9月23日火曜日

三島由紀夫の自殺

以前、読んだ三島由紀夫のエッセイに、自殺のことが出ていた。
そこで彼が強調していたのは、自殺には2種類あるということ。1つは弱い人間の、現実逃避の自殺。もう一つは、強い人間の、目的達成に向けた自殺。
たとえば、戦争の特攻隊の自殺攻撃などは、強い人間の自殺となる。

三島由紀夫が今生きていたら、きっとアフガンやタリバン、アルカイダの自殺攻撃、スイーサイドアッタクを絶賛しただろうな、と想像している。

2008年9月22日月曜日

自殺と人間性

自殺については、色々な意見がある。自殺肯定派の人からは、自殺とは最後の人間性だという意見がある。
自殺ができるということ、自殺というのは、人間に許された最後の選択ではないのか、と。
この世は、四苦八苦の世界。思い通りにならないもの。
決して我慢できない環境で生きることもある。生きることが、何よりも辛いことも。

そんなとき、まずはどんな人間でも、死を選ぶ自由はある。
それこそが人間が人間である証しではないのか、というわけだ。

もちろん、そんなものではない、と言うことは簡単だけれど、確かに、辛いのは生であり、死ではない、という意見には共感できるものもある。

自殺とは最後の人間の自由、・・・そんな側面も、有るのかもしれない。だからこそ、自殺、江戸時代の心中とか、あるいは切腹とか、美しいものとされたのかも。

つまり、自殺が美しい時代もあったのだろう。