2008年8月21日木曜日

自殺文学 心 孤独

自殺を考えるとき、ひとすじなわで行かないのは、いわゆる殉死、切腹、など日本には自殺の文化があること。江戸時代の心中物といった文化もある。
ただ単に、自殺を逃避、敗北と捉えることは、もちろん出来ない。一つ一つの自殺には、それぞれの人生、価値観がある。
その多様性から目を逸らすことは大きな間違いだろう。

そんなことから、自殺に関する文学についても、ときどき、ブログで取り上げてみたい。

まずは、自殺文学の代表としては漱石の「心」。
これは、もう何十年もたってから、友人から恋人を奪ったことを悔んで、自殺するという話。
この話で、すごいなと思うのは、何十年もたって、というところ。実際、何十年たっても、心の傷、痛み、悩みは消えるものではない。人の心というのはそういうものなのだ。

結婚していながら、この主人公の心のある部分は、ある意味、どれほど孤独だったのだろう?

以下、あらすじをウィキペディアウィキペディアから。

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時は明治末期。夏休み中に鎌倉に旅行に行った際、「私」は「先生」と出会った。先生は大学を出ているが就職せず、奥さんとひっそりと暮らしている。先生は雑司が谷にある墓地(雑司ヶ谷霊園)へ墓参りに行ったり、私に対して「私は寂しい人間です」と言ったりする。私はそんな生活を送る先生の事に興味を抱き、先生自身の事を色々と聞いたりするが、先生は答えてくれない。奥さんとの間に子供がいない事も不思議に思うが、やはり答えてくれなかった。また、私に対して「恋は罪悪だ」など急に教訓めいたことを言ったりもする。そんな折に私の父親が病気を患っている事を話すと、先生は「お父さんの生きてるうちに、相当の財産を分けてもらっておきなさい」と、現実的なことを言い出す。
私は大学を卒業後、実家に戻った。卒業後の就職先が決まっていなかった私に対し、家族から就職の斡旋を先生に依頼するように言われ、手紙を出すが、先生からの返事はなかった。父親は明治天皇の崩御と共に容態が悪化した。私は東京に戻る予定だったが、父の容態の急変により実家から離れる事が出来なくなる。
父親が危篤という状況になって、先生からの手紙が届く。私は先生の手紙から先生自身の死を暗示する文章を見つけたため、最期を迎えようとしている父親の元を離れ、東京行きの列車に乗る。列車の中で読んだ手紙には、衝撃的な先生の過去が綴られていた。
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そして、この過去というのが、親友から恋人を奪って、それが奥さんだったというもの。
その親友は、ひとことも文句を言わず、死んでしまった。