2008年8月24日日曜日

三島由紀夫の自殺

有名作家の自殺といえば、まず三島由紀夫の割腹自決を思い出す。

事件史探求のサイトから、少し引用しよう。
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昭和45年11月25日、世界的に有名な作家・三島由紀夫は自身で創った民兵組織「盾の会」メンバーの森田必勝ら5人を引き連れて、市ヶ谷にある陸上自衛隊東部方面総監部に侵入し、陸将の益田兼利総監を監禁状態にして立てこもった。これを阻止しようと総監室に入った中村二等陸佐は、三島の刀で左腕を切られて重傷を負うなど8人の自衛官が負傷した。その後、三島はバルコニーへ出て約1000人の自衛官の前で檄文の垂れ幕、びらをばら撒き「われわれは自衛隊を愛すればこそ憲法を改正するため、自衛隊が決起する事を願ったのに、自衛隊はわれわれの希望を裏切った。諸君は自分を否定する憲法を何故守るのだ」と約10分間演説をした。自衛官たちは三島に向かって「総監を解放しろ」「垂れ幕を回収しろ」など野次を飛ばした。これを見た三島は、自衛隊の決起は無いと判断、再び総監室に戻り、自身の刀で割腹自決をした。
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さて、三島由紀夫は、自衛隊の決起(クーデターか?)、憲法改正を目指したわけだが、これを政治的な主張と考えると、自衛隊の役割なり、憲法の役割なり、若干の誤解をされていたのかな、という気もしないではない。

一方で、この自殺を侍の美学と捉えると、より理解しやすく感じる。

この切腹という自殺の日本文化。敗戦を機に、日本からはほとんど消えたのだけれど、先日、死刑制度や終身刑制度の議論をしているとき、政治家が、日本の死刑というのは、「死をもってつぐなうという日本文化だ。終身刑は、あまりにも残酷だ」という発言をしており、え? こんなときに、日本の自殺の文化を聞くなんて、と大変に驚いてしまった。

いやそれにしても、自殺といっても、その裏には様々な背景があるものだ。