2008年8月27日水曜日

閣僚の自殺

2007年に安倍内閣の松岡利勝農水大臣が自殺したのは、記憶にまだ新しい。

彼の自殺は、現職閣僚の自殺としては、実に62年ぶりとのことだったという。
松岡大臣の自殺前には、ご存知の通り、事務所費問題、光熱水費問題、献金問題等数々の疑惑が浮上していた。
直接の動機は、むろん部外者にはうかがい知れぬことだけれど。

では、62年前の現職閣僚の自殺とは何だったのだろう?
62年前に自殺されたのは、阿南 惟幾(あなみ これちか)陸軍大臣だった。彼の自殺は、松岡大臣のものとは、ずいぶんと違う。
人物探訪: 阿南惟幾~軍を失うも国を失わずというwebから彼の自殺の経緯を見てみよう。

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1.もしもあの時、一歩を誤って軍が暴走していたら、、、
 昭和20年8月11日、外電が日本の降伏受入れ予想を報道 し始めると、支那派遣軍総司令官岡村寧次大将は次のような激 烈な電報を陸軍中央に送ってきた。  数百万の陸軍兵力が決戦を交えずして降伏するが如き恥 辱は、世界戦史にその類を見ず、派遣軍は満8年連戦連勝、 ・・・百万の精鋭健在のまま敗残の(蒋介石の)重慶軍に 無条件降伏するが如きは、いかなる場合にも絶対に承服し 得ざる所なり  海軍の戦力はほとんど失われていたが、当時の陸軍兵力は内 地237万余、外地310万余。特に支那派遣軍は「満8年連 戦連勝」の状態で、いきなり無条件降伏せよ、と言われても 「絶対に承服」できないのは当然であった。  もしもあの時、一歩を誤って軍が暴走していたら、、、 または陸軍が抗戦派と和平派の二つに割れて友軍相撃とな り、そこへ米軍やソ連軍が入ってでも来たら、日本はどう なっていたことか、、、そしてどれほど多くの日本人が犠 牲になっていたことか、、、。そんなことにならずに済ん だのは貴様のおかげだ。よくぞ無事終戦に導いてくれた。  もと参謀次長・沢田茂中将がこう感謝するのは、終戦時の陸 軍大臣・阿南惟幾(あなみこれちか)である。

ー略ー

7.反対の行動に出ようとするものは、まず阿南を斬れ
 翌朝、阿南は各課の幹部を全員集めて、御前会議の内容を説 明した。御聖断によりポツダム宣言受諾という結果に、一同は 愕然とした。  私が微力であるため、遂にこのような結果になったこと は諸君に対して申しわけなく、深く責任を感じている。し かし御前会議の席で、私が主張すべきことは十分主張した 点については、諸君は私を十分信頼してくれていると信ず る。このうえは、ただ大御心のままに進むほかはない。  として、阿南は、和戦両様の構えで皇室保全の確証が得られ るかどうか、連合国側の回答を待つと述べた。さらに次のよう に、鋭く言い切った。  今日のような国家の危局に際しては、一人の無統制が国 を破る因をなす。敢えて反対の行動に出ようとするものは、 まず阿南を斬れ。

ー略ー

10.ポツダム宣言受諾への電撃的ショック
 翌15日正午、昭和天皇の玉音放送によって、ポツダム宣言 受諾が伝えられた。同時に全陸軍は阿南陸相の自刃を知った。 阿南が終戦処理を託した荒尾興功軍事課長は次のように述べる。  陸軍は昭和20年8月14日朝までは、戦争を継続すべ きであると考えていた。然しこの日から、ポツダム宣言受 諾の天皇の命令に即刻添わねばならぬことになった。この 天皇の命令に全陸軍が直ちに従うためには、単なる命令だ けでは徹底しない。電撃的ショックを必要とするのである。  全軍の信頼を集めている阿南将軍の切腹こそ全軍に最も つよいショックを与え、鮮烈なるポツダム宣言受諾の意思 表示であった。之により全陸軍は、戦争継続態勢から、ポ ツダム宣言受諾への大旋回を急速に始めた。それまで激烈 な戦争継続要請の電報が前線から来ていたが、ピタリと止 んだ。換言すれば、大臣の自刃は、天皇の命令を最も忠実 に伝える日本的方式であった。  かくて全陸軍内外550万の将兵が一日にして矛を収め、無 事に戦後の日本再建に向かう道が開かれた。「軍を失うも、国 を失わず」、阿南が14日夜、最後の閣議へ向かう時につぶや いた独り言である。


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むろん、さまざまな見方はあるだろうが、もし、上記の説明がほぼ正しいとするなら、阿南 惟幾 陸軍大臣の自殺は、日本を救った自殺だったといえるだろう。憂国のサムライ、そのものといえるのではないだろうか?

靖国神社には、今でも阿南 惟幾 陸軍大臣の血に染まった遺書が残されている。そこには、まさに裂帛の気合、武士の誇りがある。

現職閣僚の自殺。・・・62年のときを経て、日本人は、どう変わったのだろう? 

62年前の閣僚の自殺の動機には、少なくとも、少なくとも事務所経費疑惑は、存在しなかったに違いない。