2008年8月22日金曜日

乃木大将の自殺

自殺には、自決なり、殉死も含まれるだろう。
殉死で有名なのは、乃木大将の自殺。あまり、注目されないようだが、ご夫人もまた、自殺されている。
乃木大将は、天皇に殉死し、奥様は、夫に殉死されたのだろうか。

ウィキペディアに乃木大将の項目には、殉死について、以下の解説がある。
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殉死とその影響 自決当日の乃木夫妻乃木は、1912年9月13日、明治天皇大葬の夕に、妻とともに自刃して亡くなった。まず静子が乃木の介添えで胸を突き、つづいて乃木が割腹し、再び衣服を整えたうえで、自ら頚動脈と気管を切断して絶命した。遺書には、明治天皇に対する殉死であり、西南戦争時に連隊旗を奪われたことを償うための死であるむねが記されていた。このときに乃木は
うつ志世を神去りましゝ大君乃みあと志たひて我はゆくなり
という辞世を詠んでいる。
この事件は当時の社会にあってきわめて衝撃的にうけとめられ、結果的に死後乃木の盛名をさらに高からしめることになった。事件に対する態度は主として、
1.天皇に忠誠を誓う武士道的精神、軍人精神の極致として賞賛するうけとめかた
2.封建制の遺風による野蛮で時代遅れの行為として皮肉にとらえるうけとめかた
3.作戦失敗を繰り返し、多くの部下を無為に死傷させた、当然の結果といううけとめかた
4.古武士のような徹底した清廉な生き方を称賛するうけとめかた
の4種類に区分できる。生前から(4)の受け止め方は国民の間で主流であった。事件直後は(1)(2)(3)(4)が混在していたが、やがて大正デモクラシーの影響によって(2)の立場を取る側とそれに対抗して乃木を神格化しようとする(1)の立場が主流になる。昭和初年ごろから社会全体が右傾化してゆく風潮のなかで(1)が圧倒的な勢力を得たこともあった。戦後は、陸軍悪玉論や軍人に対する嫌悪感から(3)を支持する意見と、(4)を支持する意見がある。
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どの意見を支持するにしろ、それは、その人の人生観、価値観なのだろう。
乃木大将ご夫妻は、他人にどう受け止められようと、ご自身たちの生き方を貫いたのだ。
もし、乃木大将が、今の世、日本をご覧になったら、どうのように思われるのだろう? 
憂国の涙を流されるのだろうか? それとも、大きく優しく、微笑まれるのだろうか。

自殺にも、実に様々なものがある。