2008年9月3日水曜日

心中という自殺

自殺には心中というものもある。男女二人で(同性愛でなければ)、来世で結ばれることを誓い合って、自殺するというものだ。
これが無理心中となれば、殺人と自殺の二つになる。

昔から日本では歌舞伎などで心中物が流行し、心中という自殺には、一種のロマンチックな感じがともなっている。


有名作家でも、心中した人がいる。たとえば、有島武郎。
ウィキペディアから一部関連部分を引用しよう。
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しかし創作力に衰えが見え始め、『星座』を途中で筆を絶つ。1922年、『宣言一つ』を発表し、北海道狩太村の有島農場を開放。1923年、婦人公論記者で人妻であった波多野秋子と知り合い、恋愛感情を抱くが、秋子の夫に知られるところとなり、脅迫を受けて苦しむことになる。そして6月9日、二人は軽井沢の別荘(浄月荘)で縊死心中を遂げた。7月7日に発見されるが、梅雨の時期に一ヶ月以上遺体が発見されなかったため、相当に腐乱が進んでおり、遺書の存在で本人と確認できたほどだという。遺体が発見されたとき、二人の遺体は蛆虫の巣と化しており、天井から床まで瀧のように蛆虫が湧き、別荘の屋外まで溢れかえっていたとされる。複数残されていた遺書の一つには、『愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかつた』と残されていた。
辞世の歌は 「幾年の命を人は遂げんとや思い入りたる喜びも見で / 修禅する人のごとくに世にそむき静かに恋の門にのぞまん / 蝉ひとつ樹をば離れて地に落ちぬ風なき秋の静かなるかな」というものらしく、唐木順三の評では「いずれも少女趣味以上ではない」と断じられている。(『自殺について』1950年)
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文学者の心中といえば、美しくも響くが、蛆虫で覆われた死体というのは、なんとも恐怖の地獄絵図だ。どうも実際の死は、あまり美しいものではなかったようだ。