2008年9月29日月曜日

再度、自殺サイトを見る

自殺サイトということでヤフーで検索。最初の方に、自殺サイトとして、出てきたweb(http://inochi.jpn.org/jisatsu/)には、とても、興味深い問い掛けがなされている。

なぜ死んではいけないのですか?と。

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自殺サイト はじめに

「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えることなのである」

不条理の哲学で知られる20世紀フランスの作家、アルベール・カミュは、『シジフォスの神話』の冒頭に、こう書いています。

シジフォスは岩を山の頂まで運びあげますが、岩はその重みですぐに転がり落ちてしまいます。運び上げては転がり落ち、また運び上げては転がり落ちる。無意味で、希望の無い労働を永遠に繰り返すシジフォスの努力に、人生の実相を見る人も少なくありません。

ドイツの哲学者ニーチェは、キリスト教をはじめとする一切の既成の価値を徹底的に破壊し尽くした果てに、人生の新たな価値を創造しようとしました。それは意味なき生の繰り返しを肯定することで、生の頂点が得られるというものでしたが、ニーチェ自身は発狂し、死んでいます。

相次ぐ少年犯罪をどうするか、激論が交わされたテレビ番組のさなか、「なぜ人を殺してはいけないのか」の一高校生の問いに、識者たちの回答はありませんでした。以来、この問いはさまざまな視点から論じられましたが、未だ正面から答え切った人を知りません。

一見、平凡な日常は、実は最も根本的な問題から目を背け続けています。そして人々は、心の空虚を抱えたまま、それに驚きもせず、ただ漠然と生きています。

果たして、人生は生きるに値するものなのでしょうか。

なぜ、どんなに苦しくても、自殺してはいけないのでしょうか……

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この質問に、実際、多くの人は答えに窮してしまうだろう。
そもそも自殺してはいけない、というのは命令に他ならない。いけないという禁止命令だ。

命令であるなら、その命令はどこから来るのか?
神様か? もし神様なら、どの宗教の?

突き詰めて考えたことがなければ、なかなか明確には答えられない。
この肝心かなめな問いかけに、きちんと答えることも出来ずに、多くの機関など、自殺防止取り組んでいる。

明確に答えることも出来ずに、自殺してはいけないのは、自明のこととして。